2022/09/26 18:16

前回の「変革編」ではBLACK HOLEの解散、そしてANTHEM初代ギタリストであった小柳さんの登場までをお話ししました。40年以上も前のことですので、正確に思い出すのに時間がかかるのと、話との時間軸があっているのかを確認するのが大変でした(苦笑)。今回はANTHEMが結成され、徐々にバンドらしく良くなっていく過程を、私の思い出と共にお話していく「野望編」です。お付き合いください!


中野の洋館のような直人っさんのアパートで小柳さんに初めて会った時の第一印象は、「女子?」と言うくらいの可愛らしいルックスでした(笑)。と言っても私より2歳年上でしたし、黒のショット革ジャンを着ていましたがなぜかそう感じたんですね。小柳さんは直人っさんの後輩で同じ北見道産子でしたし、BLACK HOLEのメンバー同様、ここでも北海道ミュージシャンのレベルの高さを知ることになるのでした。そして遂にANTHEMが誕生します。


当時私はメタルを好んで聞いていましたが、小柳さんのB級メタルの知識はとても深く、かなり多くのバンドやミュージシャンを教えてもらいました。日本でブレイク前のゲイリー・ムーアが結成していたGフォースや、シン・リジー加入前のジョン・サイクスやレイヴンの様なパワーメタルを教えてくれたのも彼でした。よく新宿の輸入レコード屋さんで私の分までレコードを買ってきてくれたのも懐かしい思い出ですね~。

ある日、直人っさんから「新しいバンドでライブがあるけど来る?」と言われ1981年5月、新宿のACBというライブハウスに出向きました。それこそが私が観た最初のANTHEMのライブなのです。ステージ上にはヴォーカル、ギタリストが小柳さんともう一人、ドラムと直人っさんの5人編成でした。数十分のライブだったと思いますがライブ終了後に真っ先に直人っさんに会い、バンドの感想を伝えたことを凄く覚えています。それは「このドラマーで大丈夫?」でした。BLACK HOLEの歴代ドラマーは自分にとっても ”アマチュアでここまでの人がいるんだ” と感じたドラマーであったのに加え、直人っさんが "このバンドで満足してる?" という意味も含めてでした。実はこのドラマーこそが初めて会ったMAD大内でした。MADには申し訳ないけど、この時点では直人っさんとバンドを組むには私からは力量不足だと感じたのです。ただ、ファーストインパクトは人懐っこいヤツだな~と感じましたね(笑)


このライブの少し後にはバンドは5人から4人になり、ヴォーカルはトニー前田に代わっていました。この辺の流れは「柴田直人・自伝」に書いてありますので、もう一度読み返してみてください。時代はジャパニーズ・メタルが非常に盛り上がり、ラウドネス、アースシェーカー、マリノと言った関西勢のバンドの活躍が非常に目立ってきた頃です。

そして入社2年が経過しようとしていた私もこの頃には仕事が忙しくなり、直人っさんの洋館のようなアパートに行く回数がめっきり減りました。その代わりに自分の地元の友人N君の同級生、S君が良く遊びに行っていたようです。このS君は私の地元の友人N君の高校の同級生で、当時BOW WOWやシルバースターズにハマっていた私と同じ趣味で知り合いになりました。その流れで直人っさんを紹介したところ、意気投合し良く遊んでいたようです。「柴田直人・自伝」にこのS君の写真も出ています(笑)そして現チーム・アンセムにいるS氏はこのS君の実弟であります。これもなんか縁を感じますね!

1982年頃、もちろんこの時点ではANTHEMはまだメジャーデビュー前ですから、当然ながらリハーサルを行うにもなるべくお金をかけたくない下積の時代でした。そこで当時、私が在籍していた御茶ノ水ロックサイド(現在閉店)の4階にスタジオがあり、機材もしっかりと揃っていて小規模なライブも出来る広さもあったため、ANTHEMに無料開放いたしました。今思うとまだ新人2~3年目の若造社員に好き勝手やらせてくれた会社も凄いと思います(笑)。ただ、スタジオの中では練習してるのかと思いきや、ここには書けないような乱痴気騒ぎが毎回のように行われていました。(爆)。そういえばこのスタジオでは何回か客を入れてのライブも行いましたね!実にいい時代です。

しかし凄いのはドラマー・MAD大内の上達ぶりでした。過酷な体育会系リハーサルと直人っさんの熱心な指導のおかげなのか、初めて観てから一年も経っていないのに、凄く魅力的なドラマーに仕上がりつつありました。いつも思うのですが直人っさんはドラマーに対する選択眼がとてつもなく優れていると思います。MADはもちろん、スティーヴ、本間さんや田丸君もそうだと思いますね。

1982年暮れ、4人になったANTHEMはカルメンマキ率いる5Xのツアー・サポートバンドに抜擢されました。(この辺の流れも自伝に書いてあります)私がカルメンマキさんの大ファンであったことから、不純な理由で1公演のみANTHEMスタッフとして手伝ったことがあります(笑)当時、山下公園横にあったライブハウス、横浜・シェルガーデンに行きました。5Xのギターであるジョージ吾妻氏は楽器メーカーの社長さんでもあり、取引先様でもあったことから吾妻氏のギターの弦交換なども行ったりしました。オープニングアクトのANTHEMの演奏が始まる数十分前、5Xの照明スタッフにANTHEMの照明は出来ないので、ANTHEM側で用意するよう伝えられました!!スタッフは私だけ!!! 4~5曲くらいでしたが初めて照明卓でライブ・ライティングをする20歳そこそこの超ド素人の私がそこに居ました(泣)本当に懐かしく楽しい思い出でした・・・・。




ANTHEMはこの時すでにアマチュアとしては関東では一目置かれる存在になっていましたが、この頃からバンドに対する直人っさんの目つきが変わってきたように私は思っています。それが「メジャーデビュー」という目標なのかは私にはわかりません。ただ "このままではダメだ" という表れではないかと感じたんです。いよいよ次回は完結編で、ギタリスト交代からデビュー目前までの「飛翔編」をお送りいたします。また、気長に待っていてください!