2023/04/15 16:42

第3話でもお話ししましたが1977年から1980年初頭まで、私はライヴに明け暮れる毎日でした。78年は特に多く、2月にRAINBOW、3月にKISS、4月にCHEAP TRICK、5月はTED NUGENT、6月はVAN HALEN、7月にJUDAS PRIESTと初来日のアーティストがほとんどだったため、とてつもないスケジュールでした(笑)。この間もBOW WOWやCharなど国内アーティストも行ってましたので、我ながら感心するほど動きまくった年でした。

当時、私の地元の福生からすぐ近くの中神という駅の近くに、BOW WOWが合宿していたこともあって、当時からBOW WOWのライブによく行っておりました。時は「SIGNAL FIRE」が全盛の頃です。ある音楽雑誌が今回お話しするTEAZEのことを ”カナダのバウワウ” と言っていることもあり気にはなっていたのですが、あまりにも多くのアーティストが来日するのでチケット入手が後回しになっていました。

7月のJUDAS PRIEST公演が終わり、次の外タレのライヴは10月のIAN GILLAN BANDまで予定が無かったので、TEAZEのチケットを8月の終わり(確か2週間前)に新宿のプレイガイドへ買いに行きました。公演2週間前でしたので、2階席が取れればイイやくらいに思っておりました。昔のチケット購入は会場の座席表を見ながら購入することが出来たので、どの席が空いているのか尋ねたところ「1階の4列目が取れます!」と店員さんに言われ、驚愕しながら即入手したのでした。

9月5日のライヴ当日、素晴らしい席で観れるとウキウキしながら中野サンプラザに入場した私の第一声は "エエッ?ウソでしょ!!” でした。開演20分くらい前だというのに客が4~5列目までしか居ないのです。まだ少し時間あるからもう少し増えるだろうと思っていたら、”2階にいるお客様方も1階に降りてきていいですヨ”と会場アナウンスが入りました!!結局、客は1階の8~10列目くらいまでしか居ませんでした(驚)。衝撃を通り越すほどの不入りで、ライヴを演ってくれるのか不安になるほどでした(苦笑)。

そして遂に客電が落ち、ライヴがスタートします。なんと、メンバーはサンプラザのセリ上がりで、演歌歌手のようにステージ床からゆっくりと上がって来るではありませんか!!こんなハードロックバンドはなかなかいません(笑)。しかし、一曲目の「ROCKIN’ WITH THE MUSIC」は超カッコよかったのを鮮明に覚えております。また、ドラムのライザーの左右にトランポリンが何故か置いてあり、メンバーはこれに時たま飛び移り、飛び跳ねながら演奏していました。これもまた実に斬新でしたね。メンバーは皆イケメンで女性ファンも多く、何より当時では今ほどポピュラーではなかった2バスのドラムがとてもカッコ良かった。ただ、2バスは踏んでいなかったかもしれないです(苦笑)。そして、このジャパンツアーは全6公演でした。前日の4日の東京公演や名阪の動員数などは一切分かっていません。物凄く興味ありますね!

翌1978年にこの公演のライヴ盤「ティーズ  ライブ・イン・ジャパン」が日本のみで発売されます。当然アルバムにはこの日、8~10列目までしか客がいなかった雰囲気は全くありません(苦笑)。当時のあるあるでオーディエンスの声は多分オーバーダビングされていると思いますね。ただ、アナログ盤のライナーは渋谷陽一氏、東郷かおる子さんや伊藤政則氏が書いているので、バンドの売り込みには結構力を入れていたことがわかります。

客入りからして当然なのかもしれませんがTEAZEの来日はこれっきりだったと思います。ただ、いろんな意味で私の中では記憶に残るバンドとなっています。バンドのサウンドは今聞いてもなかなかストレートなハードロックで好感が持てますね。CDもなかなか入手できなかったのですが、7~8年前に揃えられるものは全て入手しました。この時代のものはなんだかんだ言ってもイイですよね。

そして今回、BLOGを書くにあたって色々調べていたら、ナントTEAZEが復活しているみたいなんです(笑)。みんな物凄いオジサンになって、若いころのサウンドを奏でているのを見るとなんか感涙しますね。検索している時に見つけた衝撃の2022年ライブ動画もアップしておきます! ではまた次回をお楽しみに!!


【TEAZE LIVE CONCERT IN JAPAN  1978】

1978年
9月4日(月)、9月5日(火) 東京・中野サンプラザホール
9月6日(水) 名古屋市公会堂
9月7日(木) 大阪フェスティバルホール
9月9日(土) 福岡電気ホール

入場料:S席 ¥3,800