2023/09/26 20:00

1978年4月、私はウルリッヒ・ロート在籍時のスコーピオンズを、初めて東京・中野サンプラザへ見に行きました。「こんな風にギターを弾くヤツがいるんだ!」と感心し、この頃よくアルバム「狂熱の蠍団~ヴァージン・キラー~」をよく聞いていたものです。日本公演が終わるとすぐにミュージックライフ誌にウルリッヒ・ロート脱退の記事を目にします。

そしてここから波乱がスタートです(笑)。新ギタリストはこの後すぐ、マティヤス・ヤプスなる人物に決まったと音楽雑誌で知ることになります。情報は音楽雑誌のみの時代でしたので、隈なく見ているとニューアルバムにはなんと、UFOを【脱走】したマイケル・シェンカーも参加するという情報が入ってきてビックリしたのを覚えております。

そして、確か年が明けた1979年正月頃だったと思いますが、スコーピオンズが2度目の来日を果たすという情報が入ってきました!しかも、マイケル・シェンカーがギターだというではありませんか!!残念ながらこの時点ではマティアスのことはまったく頭になかったのです。半信半疑のまま、確か79年1月に行われたCAMELのライヴで以下の公演ポスターを目にすることとなるんです!!
オ~これはマジで来日するぞと、ドキドキしながら即チケットを入手することに決めます。当時、UFOにもハマっていましたが、マイケルが一緒に来るなら絶対スコーピオンズでしょと思っておりました。なぜなら、このスコーピオンズ来日公演の行われる3週間後には、UFOの来日公演も決まっており、どっちに行くか迷っていたところでした。凄く贅沢な時代なんです!!

6月のスコーピオンズ公演をウキウキと待っている間もジューダス・プリースト、ストラングラーズ、リンダ・ロンシュタット、ジャパン、ロッド・スチュワート、トッド・ラングレン、ロキシー・ミュージック、バウワウ、JL&C、アン・ルイスとジャンル問わずで、親にあきれられるほどライヴを観に行っておりました(笑)。このスコーピオンズ公演の前日にも、U.K.の初来日公演を観て、憧れのカルメン・マキさんからサインをもらっております。(ライヴ回想記・第1話参照)

しかし、公演1カ月くらい前になると、「どうもマイケルがまた脱走したらしい...」と言う情報が、音楽雑誌で目にすることになります。その時のショックはかなりのモノでした。当日はどうなるんだろうと思い、会場の中野サンプラザに足を運ぶことになります。
この公演のチケットは当時、新宿駅東口にあったプレイガイド(チケットを売るショップ)に早朝から並んでゲットしたチケットでした。その甲斐あって3列目がゲットでき、席もマイケルが来るであろう上手(かみて)の席をわざわざ選んでおります。当時のチケット購入法はプレイガイドで座席表を見ながら選べたのが最高でしたね。

6月5日、中野サンプラザに到着し着席すると、どこからともなく「マイケルを出せ~ッ!!」という怒号のような叫びが聞こえてくるのです。気持ちはわからなくもないのですが、この時代のロックキッズは現代と違って決してお行儀が良いとは限りませんでした(苦笑)。考え方を変えるとみんなアナーキーでロックしていたとでも言いましょう(笑)

1曲目が何で始まったかは覚えておりませんが、曲中や曲間のインターバルの時でも「マイケルを出せ~ッ」や、時には「帰れ~ッ」などという罵声も聞こえて来ました。しかし、曲が進むにつれその声がどんどん聞こえなくなっていくのです。なぜなら新加入したギタリスト、マティアス・ヤプスのギターテクニックとサウンドがとてつもなく素晴らしかったからだと私は思います。マティアスもマイケルと比較されることは十分承知であったと思いますが、そのブーイングにも負けずに弾き通したプロフェッショナルさに感服した次第です!

演奏曲は当時リリースしたばかりのアルバム「ラヴドライブ」からの曲が中心でしたが、もちろん”We'll Burn The Sky”や"Fly To The Rainbow"などの旧曲も演奏されました。もちろん、日本公演十八番の”荒城の月”もです。

そして2015年にリリースされたスコーピオンズ結成50周年・記念盤「ラヴドライブ」には、なんとこの1979年日本公演のライヴ映像がDVDで付属しています。こちらもぜひチェックしてみてください!!ではまた。


【SCORPIONS JAPAN TOUR 1979】
6月3日(日) 愛知・名古屋市公会堂
6月4日(月) 大阪・フェスティバルホール
6月5日(火) 東京・中野サンプラザホール
6月7日(木) 東京・新宿厚生年金会館
6月8日(金) 東京・後楽園ホール

チケット代:S席 / ¥3,000 A席 / ¥2,800 B席 / ¥2,500 C席 / ¥1,800